日陰暮らし

ネットの話題から精神病のことまで

漫画家がTwitterで自分の作品に対する同情を集める意味。

 

このデゾルドルという漫画、今モーニングの公式サイトで一話を読んで見たが、なんかベルセルクっぽいな。

一話だから仕方ないのだろうが、説明的なセリフがやたら多い印象。これから変わっていくのだろうか。

 

そして果たしてこのツイートに効果があるのだろうか。問題はこの作者の漫画が売れていない理由が人目に付いていない」からなのか、もしくは「単につまらない」からなのか。

 

僕の考えではおそらく後者である。

この漫画はモーニングtwoという雑誌でやっているらしいが、他にもこの雑誌で連載している漫画はあり、かつ支持を得て続いているわけで。

連載している雑誌の読者にすら支持を得られない漫画が大衆から人気を得られるとは思えない。そりゃ話題と同情を得ることで、一時的に売れることはあるかもしれないが。

 

そもそもこれに限らず、人から勧められたものに情熱が燃えることは少ない。 考えてみてくれ。友人や知り合いに「見てくれ」と勧められたものって大抵しっかり見ないだろ。仮に見てもハマることって少ないだろ。

 

己が自然と感銘を受けた作品というのが、その人に合った作品であり、押し売りのような形で見せられた作品を読者が買うとは思えないのである。

 

同情を集める時間で漫画を面白くする努力をするべき。

 

いや

 

既に頑張っているのだろうけど。

オープンワールドゲームの弱点と自分のこだわり。

オープンワールドのゲームをプレイしたことはあるだろうか。

 

僕はウィッチャー3FF15アサシンクリードオリジンズをプレイしたことがある。ゲーマーの読者にとっては「もっとプレイしろ」と言いたくなる程度の数だろうが、まあ大目に見てくれ。

 

オープンワールドをプレイすることのある方に聞きたい。

サブクエスどうしているだろうか。

几帳面に全てこなす人。

適度に終わらせる人。

無視してメインのみ進める人。

むしろサブクエストしかやらない人。

様々なはずだ。

 

僕は1番の全てこなす人間だ。現時点でクリアできるサブクエストは全てこなしてからメインクエストを進める。おかげでゲームをクリアする頃にはプレイ時間が100時間近くになっているのだが。

 

だが、このやり方がオープンワールドと相性が悪いことに最近気付いた。その理由だが

メインクエストで訪れる全ての場所をサブクエストで網羅してしまい、メインを進めている時の旅のワクワク感が無くなるのだ。

 

「いやいや旅のワクワク感ならサブクエストでも味わえるだろ」と思ったそこの君。違うのだ。サブクエストは「お使い」の要素が強く、「旅」という感覚はやはりメインクエストで味わいたいのだ。

あくまで僕の主観とこだわりだ。 

 

とはいえ、この旅というこだわりを差し引いたとしても、既に行った場所をもう一度走らされるいうのは割と飽き飽きしてこないだろうか。

サブクエストではメインクエストのマップには立ち寄らない設計にしてくれ。

 

せっかく広大なマップなのだから、最大限それを楽しめる遊び方を模索していきたい。結局サブクエストは程々に進めるのが丁度いいのだろうか。

 

改めて、なんか俺の記事の内容、愚痴とか不満ばっかだな。今後はもうちょっと明るくなれるような記事を書いていきたい。

 

とはいえネタが思いつかない中、唐突に思い出したので書いて見た。なんだかんだオープンワールドは楽しいですよ。

強迫性障害の悪化と暴露療法という治療法。

僕は強迫性障害という精神病を患っている。それも重度の。
この病気と付き合ってかれこれ6年程になる。文字に起こしてみるとかなり長い。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/

不合理な行為や思考を自分の意に反して反復してしまう精神疾患の一種である。強迫神経症とも呼ばれる。同じ行為を繰り返してしまう「強迫行為」と、同じ思考を繰り返してしまう「強迫観念」からなる。

 

強迫性障害という病気で一括りにされているが、症状としては様々。

「扉の鍵をしっかり締めたか必要以上に気になる」。

「汚れている様な気がして、手を何度も洗ってしまう。いわゆる潔癖症」。

「右手で触ったものは、必ず左手でも触らないと気が済まない」というものまである。

他にも数えきれない程あるのだが、とにかくこれらの様に些細なことが必要以上に気になってしまう病気を総称して強迫性障害というのだ。

 

僕自身の経験から言うが、強迫性障害の症状は、時間を経て悪化していく。放っておけば軽くなるなんてことは絶対に無い。予兆を感じた時点で早々に対処する必要がある。

僕も病院で医師から薬貰いながら助言を受けているが、最近暴露療法というものを勧められた。

 

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/

暴露療法とは、不安障害に用いられる行動療法の技法である。この技法では、不安や苦痛を克服するため、患者が恐怖を抱いている物や状況に対して、危険を伴うことなく直面させることとなる。全般性不安障害社会不安障害強迫性障害PTSD、特定の恐怖症などの障害の治療について、さまざまな研究においてその有効性が裏付けれらている。行動主義と行動療法に起源を持ち、認知の理論を取り込み発展してきた。

 

僕の場合潔癖症に近い症状なので

「必要以上に手を洗わない」。

「物が汚れた気がしてもアルコールティッシュで拭かない」。

といった感じだ。

 

正直「そんなことが出来るのならとっくに強迫性障害なんか治っている」と思うのだが、それを逆からやってのけろと言うことだろう。楽しくなりたければ笑え理論」だ。

 

僕もこれまで色々試してきたが、大した効果は無く重度と言えるところまで悪化してしまった。結局最終的にはこの方法しか無いのだと思う。

 

僕のように悪化させれば、それだけ病気と直面する時の恐怖も増す。まだ軽度の人たちは出来る限り病気が大きくなる前に病気と真っ向から戦って欲しい。

今週のお題と桜の季節とフジファブリック

今週のお題「わたしの春うた」

 

フジファブリックの「桜の季節について書いていく。

 

 


フジファブリック (Fujifabric) - 桜の季節(Sakura No Kisetsu)

 

フジファブリックを聴く人間と言われればなんとなく想像できるだろう。鬱屈としていて、一人で世界作っていて、人によっては前髪が目に入って痛そうなのではないだろうか。

 

僕も例に漏れずそんな感じの人間である。そしてそんな自分が好きなのである。多分フジファブリックファンの大半がそう。

 

さて、春と言えば出会いと別れ、両方あると思うのだが、「桜の季節」は後者を歌った曲だ。

だがそれは桜の季節という枠に収まらない。フジファブリックというバンドが持つ雰囲気自体が別れそのものなのだ。

まあこの話を始めると確実にお題から脱線するので書かないが。

 

桜の季節はフジファブリックの1枚目のシングルで、バンドの持つ別れの雰囲気を象徴するような曲である。

 

内容を大まかに説明するならば、「主人公の大切な人が春に遠くに行ってしまう。主人公は行ってしまう人に向けて手紙をしたためる」。

 

よくある春歌なのだが、空気感の表現が上手いのか、フジファブリックが歌う曲には他のバンドにはない独特の切なさがある。空気感が…えーと空気感…………僕は頭が悪いので上手く言葉にできないが、聞く人に聞けば死ぬほど的確な表現をしてくれそう。

 

僕は春という季節に「別れ」を意識した事が無かった。友達や学校と別れるのはつらかったし寂しかったがそれでも春に抱くイメージは「出発」「出会い」だった。そういうものだと思っていたのだ。そんな自分が、桜の季節を聞いて、春に「別れ」を意識した。

 

月並みな感想だがそれしかない。フジファブリックは非常に屈折していて、何もかもが独特なバンドなのだが、その感じを細かく説明しようとするとありきたりな言葉しか出てこないのである。

 

………

 

こう思っただろう。

 

いい感じに言ってるけど単にお前の語彙力不足であると。

 

その通りである。

 

当たり前だ。出会いがあれば別れがあることのように当たり前である。僕が馬鹿だということは。

 

僕が春に抱くイメージは、今でも出発や出会いが大きい。だが昔と違い、その片隅にちょっとした物悲しさもあるのだ。

 

格闘ゲームが好きだという話とゲームにおけるコンボの気持ち良さ。

 

nanashi-0213.hatenablog.com

 

以前格ゲーが廃れた理由という記事を書いた。あの記事のせいで僕が格ゲーに辟易してる人間なのだと思っている読者もいるだろうがそんなことはない。

 

僕は元々ゲームにおけるコンボを決めるのが好きなのだ。まずコンボという響きがいい。ドンキーコングが叩いてそうじゃないか。アクションゲームだとデビルメイクライベヨネッタにハマる口だ。

 

アクションゲームに比べると格闘ゲームのコンボは難しい。短いものでも俺のような初心者は5回挑んで1度決まれば御の字だ。だが、実戦で運良く決めた時、あの快感は他には代え難い。

 

何の格ゲーをやっているかって?フフフ聞いて驚くな……

 

ストリートファイターV

 

…………

 

なんだその目は。

へ?ギルティギアブレイブルーを期待した?

実を言うとブレイブルーはストV以前にやったことがあるのだが、俺の記憶力ではあのバカ長いコンボをいくつも覚えられなかった。ハザマを使っていたのだが、ドライブで近づいて基本コンボを決めるだけのマシーンと化していた。

 

ただブレイブルーは俺が一番苦手な目押しが無かったのでそこは助かった。最新作がpsplusで無料ダウンロードできたので久しぶりに練習している。

 

ストVの良さだが、ブレイブルーと違ってコンボが短い分発一発の爽快感が違う。ブレイブルー「ベシ!ベシ!」ならストVは「バコ!バコ!」だ。この違いが分かるだろうか。コンボは短いのだが、トータルで言えばブレイブルーに負けず劣らずの爽快感がある。

 

コンボを決めるのが好きな人は格闘ゲームを手に取ってみてもいいかもしれない。最初はうんざりしても徐々に楽しくなってくるはずだ。

独りよがりのブログは読んでもらえないらしいので読者のことを考える。

独りよがりで不快なブログは読んでもらえないらしい。成る程。言われてみればごもっともだ。

 

改めて自分が書いた記事を見直してみると、独りよがりの極みである。だって文句しか言ってないもん。

 

僕の主観のみを長々と語っているだけのブログなんて誰も読みたがらないのは当然だ。

よし!これからは心機一転して読者のことを考えたブログを書くか!………と思ったのだが。

 

そもそも独りよがりな生き方しかしてこなかったので読者を意識した書き方というものが分からない。

 

大きな壁にぶち当たってしまった。

なので他の人のブログを研究気味に読んでみると、人気な記事は自分の経験から学んだアドバイスや、役に立つ物の紹介が多い。

 

なるほどアドバイスか…………。

 

大抵の人間は僕より優れている。僕が知っていることは他の人間も大体知っているのでドヤ顔でアドバイスできることなんてそう無い。

 

無いのだが、駄目人間にしか見えないことだってあるはずだ。そう考えないとあまりにもやるせない。

インターネット絵師の承認欲求と神絵師に対する嫉妬心について。

 

まず今回の記事にインターネット絵師を貶すような意図は一切無いことを書いておきたい。

 

 

世の中の人間は承認欲求に飢えている。まるで狼のように。

 

5ch(旧2ch)を見てもTwitterを見ても、誰もかれもが自分のことを見て欲しい。反応が欲しい。褒めて欲しい。もはや人間の4つ目の欲求と化している。

 

現実と同様インターネットにおける承認欲求の満たし方も様々。

絵を描く。歌を歌う。ゲーム実況……まあどれもそれなりの能力が備わってないと注目なんてされない訳だが。

ブログも同じ、俺も同じである。

 

その中で今回記事にするのは、ネットで絵を描く「絵師」という存在。

 

皆が皆承認欲求に飢えている世の中、あくまで俺の主観だが、その中でも絵師という存在は特に承認欲求が強いと感じる。

 

そして承認欲求の強い人間、自分のことを見て欲しい人間の多くは、同時に嫉妬心も強い。

自分より注目されていたり、賞賛を浴びている人間を妬む。他人が注目されている理由が自分が求めている形だとしたら尚更だ。

 

Twitterにいる絵師は、自分より画力が高かったり、フォロワー数が多い絵師に対する嫉妬をネタにすることが多い。様々なものがあったと思うが、俺が一番記憶に残っているのは

「神絵師を殺して、その肉を食べて画力を上げる」

というものだ。神絵師とは絵が非常に上手く、ファンの多い有名絵師のことである。

心の底から妬んでいるのだろうが、こうしてネタにできて、かつ向上意欲に繋がるのなら嫉妬心も悪いものではないだろう。

 

一方今や有名な5chのなんJ

なんJにも、「絵スレ」というものが存在する。名前の通り自分達の描いたイラストをアップロードして感想を言い合うスレなのだが、あの板では基本的に馴れ合いは馬鹿のやることとされている。

 

そんななんJで唯一馴れ合いを咎められないスレ、それが「絵スレ」である。

 

だが、その馴れ合い方は非常に歪んでいる。左程上手いとは言えない絵は褒め合うのだが、プロのような絵が投下されると一変、村八分のようなことが起こる。

「なんJ 絵スレ 高木さん」で検索しろ。

絵師達の強い承認欲求と嫉妬心。なんJの絵スレはそれらの事象を見事に体現してくれている。

 

では何故絵師は人一倍承認欲求と嫉妬心が強いのだろうか。

 

まず、インターネット絵師はリアルだと暗めの人間が多い……と思われる

趣味はインドアで、休み時間には1人で絵を描いていたような人間が多数派なのではないだろうか。

少なくとも「明るい陽キャ」のようなタイプはかなり少ないだろう。

 

そうなると誰かに頼られたり、クラスの人気者だったりした経験は乏しく、リアルで承認欲求を満たせる機会は少なかったはずだ。

 

そんな人間がインターネットに絵を投下するとちやほやされる。現実とネットにおける需要と供給の違いである。

リアルで承認欲求が満たされることが少ない分、その喜びは計り知れないものだろう。

 

そして、その喜びを奪うものがいるとしたら、自分より上手い絵を描く人間の存在である。承認欲求を満たす喜びが大きい分、その弊害に対する嫉妬心も強くなるはずだ。

 

今回は絵師について書いたが、俺がインターネットをする際、よく覗く場所が絵師界隈なので色々な部分が目立って見えるのかもしれない。

 

あくまで俺の主観なのでこの記事を鵜呑みにしないで欲しい。

 

そして最後に書くことがあるとすれば、俺も神絵師になりたい。